スポンサーサイト
0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    | - | | - | - |
    怒りって、大切。
    0

      ブログのデザインを変えてみたので、調子に乗って、今日2つ目の記事です。

      うざくてごめんなさい_(_^_)_

       

      可愛い犬の写真で、続きはスルーして下さい。

       

       

      おはようございます!
      さて、今日は怒りについて書きたいです!
      怒りって大切な感情ですね。
      私は、19歳の時、おそらく精神的なものが原因で、声が出なくなりました。
       
      当時、昼は洋書店、夜はホステスという二重生活で、傾きかけた家の生活を支えていましたが、自分なりに夢もあって(アメリカの大学へ行きたくて!)、お金を貯めてもいました。
      高校の先生に会いに行って、推薦文を書いてもらって、それを英語でタイピングしたりして、必要書類を集め、TOEFLを受けて、5つぐらいの州立大学に願書を送って・・・、
      コロラド州、デンバーの大学に入学することに決めました。
      寮の手配もして、入学前の、留学生の為の英語スクールも申し込んで・・・。
      そしたら、貯めていたお金が、なかったんです。
      まあ、仕方がないか、という気持ちもあって、
      色々キャンセルして、
      今まで通り、とにかく仕事して、お仕事して・・・。
      ある朝、声が出なくなっていました。
      しゃがれた、潰れた息のようなものが出るばかりの喉。
      もともと、小学生の頃はひどい小児ぜんそくだったので、その再発かな、と思ったんですが。
       
      丁度、田舎に、家を買って隠居暮らしをしようという祖父と、一緒に暮らすことになりました。
      歩いて少しの所に、僧房のある、禅寺があって、いろいろ、家事をしたあと、本を持って、そのお寺の川の、岩の上に座って
      本を読んだり、うとうとしたり、早朝や、夕方の、読経の音をきいたり、ぼーっと川を眺めたりしました。
      本は、とにかく読み漁っていました。
      国内、世界の名著といわれるものを制覇してやる!と(実際には無理でしたけど)
      川端康成、三島由紀夫、カミュ、ドストエフスキーなど。
      そんな生活が2か月ほど続いたころ、
      祖父が、
      「お前は、あんな環境で、よくここまでまっすぐに育ったな、と思ったんだよ。」
      と言ったのです。
       
      幼いころの私にとって、祖父はまるで、神様のような存在でした。
      年に2回、父方の祖父の家にやってきて、私を近所のおもちゃやさんに連れて行って、なんでも私の好きなものを買ってくれました。
      私が、沢山あるおもちゃの中から、どれにしようか、選んで、悩んでいるのを、じーっと、にこにこしながらいつまでも待ってくれました。
      父方の祖父も含めて、私の周りの大人たちは、自分のことで忙しい大人ばかりでしたから、
      ゆったりと、ただ笑って、私のことを見てくれる存在は祖父だけでした。
      子供心にも仕立ての良い、肌触りの良い服を着て・・・。
      きっと、私のおじいちゃんはどこかの国の王様なんだ、と思って、いつも、年に2回、愛に来てくれるのを楽しみにしていました。
       
      その祖父から、私は、憐れまれていたのですね。
      多分、それがショックだったんだと思います。
      「一人で抱え込んでないで、おじいちゃんに話してみろ。」
      という一言に、私は何故か、ブチ切れました。(なんでだ)
      「うるっさいわね!私が何に悩んでいようと、私の自由でしょう!」
      私は自分の声が出たことも気づかずにまくし立てていました。
      「私が何に悩んでたとしても、それは全部私の物なの!悩みも苦しみも、全部私の物なの!誰にも、わけてなんかやらないから!」
       
      ・・・おおお、嘆かわしい、これが仮にも「名著」を読み漁った、19歳の女子の言葉でしょうか。あまりにも拙い。
      でも、この意味不明な怒りによって、私の声は復活したのでした。
       
      もしこれを読んでる、原因不明で声の出ない方がいましたら、
      名著をかたっぱしから読んで、ありがたいお経を聴いて、川を眺めてから、
      誰かに怒らせてもらって下さい。
       
      | 日常の事 | 09:15 | comments(0) | - |
      穴の開いた服
      0

        JUGEMテーマ:ひとりごと

        おはようございます。
        昨日の夜作って、息子には不評だったけれど、自分では気に入っている、「コスプレクロ」です。
        今日は、雨が降って、散歩のときは止んでいたのですが、地面が濡れているせいで、クロは散歩拒否でした。
        そういうわけで、というのもなんなんですが、
        私は穴の開いた服が好きです。
         
        次男に「ママ、どうして穴の開いた服が好きなの?」
        ときかれてハッとしました。
        新しい服が、用意してあっても、無意識のうちに、着古した、すりきれて、穴の開いた服を好んできてしまう・・・こういう人、結構いませんか?
         
        私のこれは多分、グランドファーザーコンプレックスから来ていると思います。
        私はおじいちゃん大好きっ子だったのですが、
        母方の祖父は、もともといいところのお坊ちゃんだったのと、あとは戦時中、病弱ながら男手一つで3人の子供を育て、妻の看病をした、という苦労体験からか、
        「質の良い物を、普段にばんばん着て、そして永遠に使う」タイプの人でした。
         
        私の声が出なくなって、3か月ほど一緒に暮らしたとき、
        幼いころから大好きだった、祖父の、もともとは良いものだっただろう、穴の開いたカシミアのニット、すりきれて当て布をして、それでも擦り切れたズボン・・・洗濯物を畳みながら、染みついた祖父の臭いを、クンクンしては幸せな気分になりました。(変態孫)
         
        父方の祖父は、とにかく倹約家で、自分には一切のお金をかけたくない、という人でした。
        鉛筆は削っていないところが1センチぐらいまで使う。
        服はダイエーとかの吊り下げの作業服を、お正月に新品を下して、一年間、ひたすらに着つぶす。
        唯一の道楽は、夜に少しの晩酌と、相手がいないから一人で差す囲碁ぐらいでした。
        そういう精神が、戦中戦後の難しい時代に、家を支えたのだと思います。
        (父の代で潰れましたが)
         
        私は、スーパーなんかで売っている、残り物の、半額のさらに半額になったような安物の服を、着て、着て、着たおして、穴が開いてからが、勝負!やっと自分の服になった!というぐらい、穴の開いた服を着ていると落ち着きます。
         
        まさに、二人のおじいちゃんのいいところ取りですね!
         
        あ、素敵なお出かけの時は、ちゃんとよそ行きの穴のあいてないお洋服でいきますよ。
        (家族が嫌がるので)
        でも、以前に、山暮らしの人の取材でテレビが来たことがあったんですが、その時は、私も長男(赤ん坊だった)も、すりきれて穴の開いた服を着ていました。
        そしてそのままオンエアされたので、
        多分、「貧乏だけど心が豊かな田舎暮らし」のコンセプトにマッチしたのでしょう。
         
        風水的にも、女子的にもというより既に人間としてどうかと思いますが、
        穴の開いた服、
        落ち着きますよ。
        お勧めです。
         
        | 日常の事 | 08:34 | comments(0) | - |
        | 1/1PAGES |