おはようございます!
さて、今日は怒りについて書きたいです!
怒りって大切な感情ですね。
私は、19歳の時、おそらく精神的なものが原因で、声が出なくなりました。
当時、昼は洋書店、夜はホステスという二重生活で、傾きかけた家の生活を支えていましたが、自分なりに夢もあって(アメリカの大学へ行きたくて!)、お金を貯めてもいました。
高校の先生に会いに行って、推薦文を書いてもらって、それを英語でタイピングしたりして、必要書類を集め、TOEFLを受けて、5つぐらいの州立大学に願書を送って・・・、
コロラド州、デンバーの大学に入学することに決めました。
寮の手配もして、入学前の、留学生の為の英語スクールも申し込んで・・・。
そしたら、貯めていたお金が、なかったんです。
まあ、仕方がないか、という気持ちもあって、
色々キャンセルして、
今まで通り、とにかく仕事して、お仕事して・・・。
ある朝、声が出なくなっていました。
しゃがれた、潰れた息のようなものが出るばかりの喉。
もともと、小学生の頃はひどい小児ぜんそくだったので、その再発かな、と思ったんですが。
丁度、田舎に、家を買って隠居暮らしをしようという祖父と、一緒に暮らすことになりました。
歩いて少しの所に、僧房のある、禅寺があって、いろいろ、家事をしたあと、本を持って、そのお寺の川の、岩の上に座って
本を読んだり、うとうとしたり、早朝や、夕方の、読経の音をきいたり、ぼーっと川を眺めたりしました。
本は、とにかく読み漁っていました。
国内、世界の名著といわれるものを制覇してやる!と(実際には無理でしたけど)
川端康成、三島由紀夫、カミュ、ドストエフスキーなど。
そんな生活が2か月ほど続いたころ、
祖父が、
「お前は、あんな環境で、よくここまでまっすぐに育ったな、と思ったんだよ。」
と言ったのです。
幼いころの私にとって、祖父はまるで、神様のような存在でした。
年に2回、父方の祖父の家にやってきて、私を近所のおもちゃやさんに連れて行って、なんでも私の好きなものを買ってくれました。
私が、沢山あるおもちゃの中から、どれにしようか、選んで、悩んでいるのを、じーっと、にこにこしながらいつまでも待ってくれました。
父方の祖父も含めて、私の周りの大人たちは、自分のことで忙しい大人ばかりでしたから、
ゆったりと、ただ笑って、私のことを見てくれる存在は祖父だけでした。
子供心にも仕立ての良い、肌触りの良い服を着て・・・。
きっと、私のおじいちゃんはどこかの国の王様なんだ、と思って、いつも、年に2回、愛に来てくれるのを楽しみにしていました。
その祖父から、私は、憐れまれていたのですね。
多分、それがショックだったんだと思います。
「一人で抱え込んでないで、おじいちゃんに話してみろ。」
という一言に、私は何故か、ブチ切れました。(なんでだ)
「うるっさいわね!私が何に悩んでいようと、私の自由でしょう!」
私は自分の声が出たことも気づかずにまくし立てていました。
「私が何に悩んでたとしても、それは全部私の物なの!悩みも苦しみも、全部私の物なの!誰にも、わけてなんかやらないから!」
・・・おおお、嘆かわしい、これが仮にも「名著」を読み漁った、19歳の女子の言葉でしょうか。あまりにも拙い。
でも、この意味不明な怒りによって、私の声は復活したのでした。
もしこれを読んでる、原因不明で声の出ない方がいましたら、
名著をかたっぱしから読んで、ありがたいお経を聴いて、川を眺めてから、
誰かに怒らせてもらって下さい。