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虐待1
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    私は一人っ子です。
    母は、専門学校を出た後、有名デザイナーさんのもとでニットデザイナーをしていました。
    3才までの記憶なのであやふやですが、結婚後、家庭をまったく顧みない夫と、出産と前後して母親が長い闘病生活の末に他界。それに加えて産前産後にもストレスの多い仕事・・・、今、大人の私が振り返っても、ぞっとしない状況です。
    クッキーを焼いてくれたり、公園で遊んでくれたり、楽しい記憶も沢山あります。
    基本的に、明るい、子供好きな人だったので、そんな凄まじい状況でなければ、幸せな子育てをすることができた人だと思います。
    加えて私も、憎む夫に瓜二つ、おまけに、赤ちゃんらしく、泣くことも、きゃきゃっと、声をあげて笑うこともしない赤ちゃんでした。
     
    3才になって、父が会社を起こし、店を始めることになって、両親は私の面倒を見ることが出来なくなり、
    私は父方の祖父母に預けられることになりました。
     祖父は、優しい人でしたが、親戚の会社の経理を担当していて、その上、息子の会社の経理もすることになって、忙しく、一日中、書斎にこもっていましたから、私の面倒をみるのは、家を取り仕切っている祖母でした。
    祖母は、小さな子供が嫌いでした。
    子供の声、子供の動き、子供の気配。
    幸いにして、私は、いるのかいないのかわからないほどに薄い子供だったので、静かにしているのは、あまり苦にはなりませんでした
    一度、駄々を捏ねて祖母を困らせた記憶があります。
    多分、祖父母と暮らし始めて間もない頃だと思います。
    母親に会えないのが寂しくて、ぐずぐずめそめそし始めた私に手を焼いて、祖母はそのまましばらく外出し、戻ってきたときには、両手に2.3の箱を抱えていました。
    「お母さんに会いたい。」と泣く私の前に、
    「ほら、これあげるからお母さんに会うのはあきらめなさい。」
    と言って置かれたものは・・・なんと販促用のパッケージもろともの「チュッパチャップス」
    (大きな、丸い、棒のついた、あの飴です。)
    そして同じくひと箱丸ごとの「タケノコの里」「チョコボール」
    祖母は多分、なだめる術を知らなくて、子供には甘いものを与えて置けばいい、と思ったんでしょうね。
    私も一瞬、目の前に置かれたものの迫力に泣くのをやめましたが、別にお菓子が欲しくて泣いてたわけではないので、
    お菓子に驚いたのもあり、再びしくしくと泣きはじめました。
    祖母は、すごく頭にきたようで、何か怒鳴り、
    「そんな子供には菓子はやらないよ。」か何か言って、目の前で台所の生ごみなどを入れるポリタンクの中に、箱のまま押し込みました。
    ショックで、泣きやみました。
    別に、お菓子が惜しかったとかではないです。実際、3才の子供にチュッパチャップスは大きすぎる気がしますしね。
    ただ、食べ物だ、ということは知っていたのだと思います。
    何がショックだったのか、具体的には覚えていないのですが、
    自分に差し出された物、そしてそれが目の前で生ごみにまみれてしまうという事。
    食べ物=もったいない
    という考えが当時の自分にあったのかはわかりません。
     でも、母が恋しいと、泣くようなことは以降なかったように思います。
     
    祖父は、昔気質の人でしたから、初孫である私が男の子ではないことにがっかりしていましたが、優しくしてくれました。
    日中は書斎に籠って仕事しているので、会うのは夕食の時ぐらいでしたが、膝の上に乗っけてもらって、ご飯を食べていました。
    祖父は熱燗を晩酌に飲んでいて、ある日、私に
    「飲むか?」と聞いてきました。
    私が、ペロリ、と舐めて、甘かったので、そのままごくり、と飲み込むと、
    嬉しそうに祖父は笑って
    「この子はいけるクチだぞ。」
    と言ったのが嬉しくて、
    それから毎晩のように、祖父のお膝でおちょこ1杯程度、日本酒を頂いていました。
    こうして振り返ると、とても幸せな幼少期だったように思います。
    祖父母は、戦争を経験している世代ですから、毎日安心して暮らすことができて、食べるものが沢山ある。
    それだけで十分に幸せだと感じる世代だったはず。
    ネグレクトや虐待などという概念はなかったでしょう。
    命に係わる暴力がある場合、確かに虐待でしょう。
    でも私が送った、赤ちゃんから幼少期の生活は、大人にも余裕がなかった。
    決して虐待ではなかったと思います。
    ネグレクト、精神的虐待というものは、時代によって概念が変わっていくのかもしれませんね。
    私は実際に、手を上げられたことはありません。
    大人しくしていなければというのも、私にはそう苦になることではありませんでした。
    だから静かで、穏やかで、それなりに幸せな幼少期だったと思います。
     
    小学校に上がる少し前、両親に引き取られ、店舗の近くで一緒に暮らすことになりました。
     

    JUGEMテーマ:毒親

    | 虐待について | 04:57 | comments(0) | - |
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