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虐待2
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    両親と一緒に暮らすのは、嬉しかったですが、同時に、不安もありました。
    もう、2年以上もほとんど会っていませんでしたので、今から考えれば当然ですね。
    私なりに、大分気を使っていたと思います。

     

    そのひとつに、幼稚園での出来事があります。
    私は、送迎がきちんとしているという理由から、私立の幼稚園に通っていました。
    当時、私の住んでいる地方では、私立の幼稚園って、少なかったんです。
    私の通っていた幼稚園は、お金持ちの子が多い幼稚園で、園長先生も、なんだかいつも、「寄付金」「寄付金」って言ってるような感じでしたね(笑)。寄付金の多い少ないで子供のランクが決まる、みたいな。
     
    根暗で、びくびくおどおどしている私は、幼稚園児のみならず、先生たちにも疎まれていました。
    お絵かきの時に私の座る席がなかったり、おやつの時間にわたしのおやつをほかの子が食べてしまっていることもよくありました。
    それで私がもじもじしていると、先生に「ぐずぐずしないの。」とか、「もう自分の食べちゃったんでしょう。いやしい事言わないの。」と窘められた覚えがあります。
    祖父母の家にいた時と違い、幼稚園での私は、「言葉を発することが怖い子供」になっていました。
     
    でも、祖父母はもちろん、母親も私が幼稚園を嫌がっていた記憶はなかったそうです。
    なぜなら私は毎日、嬉しそうに園バスから降りてきて、毎朝楽しそうに、園バスに乗っていったからです。
     子供心にも、自分がいじめられている、と言うのが恥ずかしかったのと、あと、変に行きたくない、とごねて、困らせたくなかった、という理由からです。
     
    両親と一緒に暮らすことになって、
    私がほとんどしゃべらない子供だと知った両親は、私が、店の片隅か、控室にいることを許してくれました。
    これは私にはとても嬉しいことでした。
    幼稚園が終わってから、日が暮れるまでお店にいて、日が暮れたら歩いて少しの家に帰る。
    帰ってから、母親が用意してくれてあるものを温めなおして食べるか、もしくは天丼、お寿司などの店屋物をとって食べます。
    父親は、従業員の女の人と、ご飯に行ったり、旅行にいったりすることが多かったので、殆ど家にはいませんでした。
    母親が返ってくるのは深夜になるので、その頃、私の家族はテレビでした。
    ニュース、野球、大相撲・・・日曜日の夜は、「サザエさん」と、ドリフターズの「8時だよ全員集合」。
    祖父が大好きで、いつも膝の上に乗ってご飯を食べながら見ていたテレビ番組です。
    日曜日は特別な日で、祖父は自分の見たい番組を我慢して、私にサザエさんとドリフを見せてくれました。
    日曜日、祖父の膝の上で見るドリフの面白かった事!
     
    その後小学生になって、こっそり、夜ご飯に日本酒を飲んでいましたが、それもお酒が好きと言うより、あの味を再び味わいたかったからだと思います。
     
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