CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
<< February 2020 >>
PR
ARCHIVES
CATEGORIES
MOBILE
qrcode
<< 虐待2 | main | 空が好き >>
虐待3(みーにゃのこと)
0

    JUGEMテーマ:毒親

    おはようございます。
    今、こちらでは、激しい雨、昨夜は激しい雷も鳴っていました。
    気持ちの塞ぐ、ブログを書いているので、雷が怖いです。
    もう、途中で書くのやめようかな、と思う内容ですが、もう少し、あと4回ぐらい、書きますね。
    もともとは、10回ぐらいになるかな、と思っていたのですが、早朝から書く内容ではないようなのも(シャレではありません)入ってくるので、その部分は割愛して、私なりに、虐待への理由を、見解を、単純に私個人の経験から書こうと思っています。
    店の裏には、よく、野良猫が集まってきたりしていました。
    私も時々、猫を見かけて声をかけるのですが、野良猫は私の姿を見ると、さっと逃げて行ってしまいます。
    そんな中、ある一匹の猫と出会いました。
    その猫は、
    店の裏で、小さくうずくまっていました。
    「猫ちゃん。」と声をかけると、小さな声で、「み〜・・・にゃあ」と鳴き、私が近寄っても、恐る恐る頭を撫でても、逃げようとはしませんでした。
    慌てて近所のスーパーで買ってきた餌をあげて、よしよしして、私たちはすぐに仲良くなりました。
    みーにゃという名前をつけたその猫は、黒・・・真っ黒ではなくて、ロシアンブルーのような、ちょっとグレーがかった黒で、艶のない、まるで生まれたての雛のようなふわっふわの、ぱさぱさの毛をした、やせた小さな猫でした。
    最初、子猫だと思ったのですが、もしかしたらもう結構大人だったのかもしれません。
    毎日、毎日、幼稚園から帰ってくるのが楽しみになりました。
    餌をあげて、隣に座って、その日に会った事を、一方的に話します。
    餌を食べ終わっても、猫はどこへも行かず、じっとうずくまって、聞いてくれているようでした。
    のどの下をなでると、弱く弱く、でも、ゴロゴロと喉を鳴らしました。
    背中は、驚くほどに痩せていて、撫でると、手のひらに背骨のひとつひとつがはっきりとわかるぐらい。
    餌をあげてもあげても、みーにゃは全く太りませんでした。
    毛はぱさぱさで、ふわふわ。濡れたティッシュで拭ってもぬぐっても、目やにがいつもついていて。
    ある日、いつものように幼稚園から帰って、猫缶を片手に
    「みーにゃ」と呼ぶと、店の裏の物置の下から、みーにゃが出てきて・・・、そして、突然、瘧か何かのようにびよ〜ん、と跳ねて、激しく震えだし、「あっ」という間もなく、口から大量の白い、うねうねしたものを吐き出しました。
    私は最初、みーにゃが内臓を吐いたのだと思いました。
    それはむにゃむにゃと、動いていたからです。
    みーにゃは、苦しそうにもがきながら、口から、血の混じった泡を吹いて、そしてやがてぴくぴくと痙攣するだけになり、そして動かなくなりました。
    みーにゃが亡くなった原因は、母が虫下しを飲ませたことでした。
    でもそれでなくても、みーにゃは早晩亡くなっていただろうと思います。
    母から、みーにゃはお星さまになったのだと、聞かされて、ありきたりな話ですが、私は、今でも、夜空を見上げる時、みーにゃの星を探します。
    あの子の目の色に似た、ちいさな星を。
    「みーにゃへ、」と、毎日、
    覚えたての文字でつづった、「みーにゃへの手紙」はちょうどこのブログみたいです。
     
    以上、「みーにゃの話」です。
    虐待とは、まったく関係のない内容ですね(笑)。
    よく、虐待を受けて育つと、虐待をする、って言うじゃないですか。
    私が息子に向かって金切声をあげている、当時を振り返ると、私の背後に小さな女の子が見えるんですよ。
    地団駄踏んで、癇癪をおこしている女の子が。
    あれは多分、寂しかった私の子供の頃だなあ、と思って。
    懺悔もあって、こうして振り返っているんですが。
    振り返ってみればみるぼど、私の育った環境は、虐待とは程遠いですね。
     
    沢山の人の手を借りて、沢山の人の、その人たちなりの、「愛情」を貰っていたんだなあ、ということがわかります。
     
    私が息子に行った行為は、ただの甘えからくる、「虐待」です。
    そこに、正当化される理由があるはずもありません。
     
    幼少期の私は、ただ、「寂しかった」。
    周りの大人にそばにいてほしくて、気に入られたくて一生懸命でした。
     
    みーにゃがいなくなって、寂しいだろうと、両親が、「ヒマラヤン」という品種の子猫を買ってきてくれました。
    私の両親はいつも、私が寂しいだろうと思って、いつでも、望むより早く、望むより多くの、お金と物を与えてくれました。
    それが愛情なのだと思うことができるほど、私はまだ大人ではなかった。
    今、私が帰宅すると目にする、自称「お祈りスペース」の可愛い子たち
    白熊さんに乗っているネズミちゃんが見るたびに違う位置にいるのは、息子が動かしているのか、それとも・・・?
     
    だらだらと、続きます(笑)。
    | 虐待について | 05:26 | comments(0) | - |
    スポンサーサイト
    0
      | - | 05:26 | - | - |
      コメント
      コメントする